蜂須賀五郎

人生を変える体験方ブログ。でも無理はしません。

本当の「ありがとう」を50個書くまで次の記事が書けない企画。 1~25

こんにちわ!

今回は、誠に勝手ながら企画を自分で考えて、それを行ってみることにしました。

題して「本当のありがとうを50個書くまで次の記事が書けない」という企画です。

今まで、あまり考えてこなかった感謝をこれを機会に考えてみようと思ったことがきっかけです。

もし、興味がありましたら一度やってみてください!最初は「浮かばないなー」なんて思っていましたが、意外と浮かぶもんです。

もし、浮かばないようなら100回ありがとうと発して下さい。そうすると脳がありがとうの出来事を探してくれるそうです。

 

 

 

1、両親:完全ではない、だが健康に生んでくれた

自分は漏斗胸(胸の骨が凹んで肺を圧迫している)、片耳が聞こえない、運動もすぐに息切れ、筋肉に力がすぐに入らなくなるなど、いろいろコンプレックスがある。しかし、普通に御飯が食べれて、友達と遊べる。自分のやりたいことをすることができる。他の人をみて正直羨ましいと思ったことは数えきれない。だけど、自分にだって人生を頑張るチャンスをくれた。それがあるだけでも感謝だ。

 

2、お爺さん:色々連れてってくれた

僕は、おじいさん子だった。小さいころに自転車でパチンコや、買い物に連れて行ってくれた。イチゴのチョコを買ってもらったのを覚えている。だけど、僕が5歳の時に筋肉に力が入らなくなる病気で亡くなってしまった。葬式では大泣きをしていたらしい。もうあまり覚い出すことはできないけれど、とても楽しかった。

 

3、幼稚園の先生:好きなものを見つけられた

当時の僕は、とても泣き虫でいじめられっ子だった。だけど幼稚園の年中、年長の先生のおかげでとても楽しい幼稚園生活を送ることができた。この先生にドッジボール(バレーボールくらいの大きさ)のキャッチの仕方を教えてもらった。その時に褒めてもらったのがすごく嬉しくて、ドッジボールが好きになった。それで友達の輪に入ることができて、とても楽しい幼稚園時代を過ごさしてもらった。

 

4、小学校3年生の担任の先生:小学校で1番楽しい1年

小学校が楽しくて、夏休みが来てほしくなかったのを覚えてるくらいだ。小学校時代に一番楽しかったし、成績が一番良かったのがこの学年。どういう状況か忘れたが、「美しい字!」とほめてもらえたのがうれしくて覚えている。充実した1年を過ごすことができた。この先生がずっと担任だったらもっとましだったのかな?なんて思ってしまう。

 

5、父方の祖母の兄:水生昆虫という貴重な体験

函南には父方の祖母の兄が暮らしてた。この山ではタケノコを採ったり、タイコウチや水カマキリなど、今ではほとんど見られない水生昆虫を見ることができ、一緒に捕まえに行ってくれた。また蛍もいっぱいですごくきれいで、ほんとに別世界にいた感じだった。しかし、現在はほとんどその姿を見ることはできない。こんな貴重な体験をさしてくれたことにとても感謝している。

 

6、父方の祖母:書道

父方の祖母が習字の先生をやっていたこともあり、小学校1年生から小学校6年生まで習っていた。当初はやらされていたので早く終わらないかなーという感じでやっていた。しかし、授業中にみんなに「字上手いね!」と言われたり、学校のコンクールに選ばれたりして浮かれていた。そういう環境を僕にくれたのを感謝している。もっと真剣に学んでおけばよかった。

 

7、水泳:水が怖いを克服。

僕は、親とプールに行ったときに軽く溺れかけたのをきっかけに、水が怖くなった。それを克服するために小2から水泳を始めた。最初は水が怖くて顔もつけれなかったけど、頑張って泳げるようになった。そのおかげで体育の授業では困ることなかったし、友達とプールで遊べるようになった。もし習っていなかったらすごく悲惨な目になっていたと思う。

 

8、バスケットボール:後悔からヒントをくれた

小学校3年の時に見学したとき、あまりにも楽しそうで入部した。入った当初はすごくみんな優しくて楽しかったし、俺がやってやる!と意気込んでいた。だが、怒られるようになり、それが怖くてどんどん恐縮していった。試合中もミスが怖くてボールをもらいにいけなくなった。中学時代は部活がスパルタで、ついていけずにさぼり始めたし、高校の時は、すぐにバテるのを隠すためにどうやってズルをするかしか考えてなかった。そのため、このスポーツでは後悔が圧倒的に多いが、自分がなにが苦手なのか、自分がこれからは、どういう分野を選べばいいのかなど、考えるヒントをたくさん与えてくれた。

 

9、中学時代の好きな人:高嶺の花と教えてくれた

中学の時に好きだった子は、いわゆる学年のアイドルだった。中学1年から中学3年までずっと好きだった。人に茶化されて、その人が自分のことを好きだと勘違いして本気で浮かれたこともあれば、想っていればなんとかなると思っていた。実際、そういう人と付き合える可能性があるのは、ほんとに努力している人なのだ。何事からも逃げていて、自分の都合が通らないだけで、ふてくされていた奴が付き合えるわけがない。そういった大切な部分を勉強できた。

 

10、両親:隠れた気遣い

我が家は、おばあさんがかなり偏屈で超が付くほどわがまま、自分が優先されなかったりするとすぐ切れる。つまり、自分も一緒に行って行きたいところに行かないと気が済まないタイプ。そのくせに行きたいところはないなどと、わけもわからないことを言う。そんな、おばあさんが一緒でも、両親はなるべく子供が食べたいものが食べれるように内緒で出かけてくれたりと、方法を考えてくれた。最近まで自分のことばかり考えていた自分はそんなことも気づかなかった。

 

11、母親の学校の生徒達:母がどういう人柄か少し分かった。

家の母親は小学校の先生をしている。ある学校のときに担任をしていたクラスの生徒が家に遊びに来てくれたことがあった。それも1人や2人ではない10人とかほんとに多かった。その人たちとドッジボールをしたり御飯を食べたりした。その写真も残っている。自分も学校時代があるが、学校の先生の家に遊びに行くなんて考えられなかった。かなり慕われていたんだろうな・・・自分は母親に似てるのは嫌だったが、少し誇らしく思えた。

 

12、好きになってくれた人:いい思い出ありがとう

数少ない恋愛での思い出のひとつ、小学校2年の時に初めて両想いになった。すごく背の高い子だったが、美人で優しい人だった。1回だけ家に行ってライオンキングを一緒に見たのを覚えている。だが、肝心のバレンタインの時に、僕が待ち合わせの日を勘違いして間違えてしまい、行くことができなかった。後で聞いたら、その子はずっと待ち合わせの校門で待っていたが、僕が来なかったので手作りのチョコをっ自分で食べたと聞いた。本当に申し訳ないことをした。それからその子とは疎遠になってしまった。当時は申し訳なさでいっぱいだったが、今思うといい思い出だ。

 

13、高3の同級生たち:楽しい学園生活

僕の思春期時代の学園生活は、孤独を感じることが多かった。休み時間に人の輪に入れなかったからだ。だけど、こんな僕でも友達の輪に入って、とても楽しく過ごせた時があった。高校3年生の時だ。話してみるとみんなすごくいい人だった。自分を思い切って出すのは怖かったけど、そのおかげでとても楽しい時間を過ごすことができた。文化祭に運動会、球技大会。どれもものすごく楽しかった。当時の同級生に恵まれたと本気で思っている。

 

14、ゲーム友達:小6の思い出

小学校の時、火曜日、木曜日しか休みがなかったが、それでも週に1度家に来てくれてゲームを一緒にやる友達を作ることができ、007やエキサイトバイクをやったのがすごく楽しかった。僕はもしかしたら、楽しい子供時代を忘れられずに1人で遊んでいる時はゲームをしてたのかもしれない。すごく楽しかった。

 

15、浪人:今までの自分のだらしなさを痛感

僕は、高3まで赤点だったため大学に行く学力が全くなかった。かといって専門に行く気もなく、働きたくもない、結局は何もやりたくない。だから、浪人して勉強する選択肢しかなかった。この1年は頑張ろう!と思った。1日朝8時から夜8時まで勉強をずっとつづけた。だけど、昔から頭を使って来なかったので頭の使い方がわからずに終わってしまった。受験は失敗して帝京大学に進学することになった。結果は失敗に終わったが、今も付き合いのある友達が二人もできた。

 

16、大学時代の好きな人:新しい価値観を教えてもらった

大学3年生の時、就職活動のアピール作りという理由で参加したボランティア、そこで1人の素敵な女性に出会った。その女性は「人と会うのが楽しい」、自分とは全く違った価値観を持った人だった。その言葉がとても新鮮で、すごく魅力を感じた。この人と接するのがとても楽しくて、ボランティア中にもかかわらず好きになってしまった。たった、3泊4日の出来事だったがとても素敵な日々を過ごさしてもらった。

 

17、1人暮らし:悪戦苦闘の日々

東京に出てくるまで、家では一切家事をしたことがなかった自分にとって、悪戦苦闘の毎日だったのを覚えている。生ごみの捨て方がわからなかったし、コバエは大量発生するし、料理はうまくできないしなどなど。でも1人で暮らしてみて普段どれだけ助けてもらっているのか実感することができた貴重な体験だった。

 

18、水がうまい:生きる源

自分は食事をするときなど比較的水を飲むタイプだ。だから、生きる上でもちろんだが、僕にとってはどの飲み物よりも大切だ、感謝しかない。 

 

19、母親:送り迎え  

すごく情けない話ですが、自分は低血圧(上が100ない)が原因かわかりませんが、朝がすごく弱くて、毎朝、仕事の通勤のついでに送ってもらったり、部活の送り迎えをしっかりやってもらった。当時は思春期で、それを当然だと思っていたし、車の中で怒られるのがすごくうるさかったですが、自分のために休む時間を割いてやってくれているのがわかってとても感謝している。

 

20、中学3年生のクラスメイト:独りぼっち

中学時代、自分の性格の悪さが原因で孤立していた。相手をしてほしくて人の秘密を言ったり、嘘をついて逃げたり、相手が嫌がっているのにちょっかいばかりだしていた。それをしているうちに、誰も話しかけてこなくなって休み時間も1人でいた。何も悪気はなくてただ相手をしてほしかった、それだけのはずだったのですが当時の自分は分からなかった。 この経験はすごくつらかった、だけど色々なことを教えてもらった、これを人にやらないように日ごろ努めている。

 

21、勉強ができること:自分の無知さに気づくことができる

勉強ができる環境にいる。 世界は勉強すらできない環境の国がある、知恵が働かないように。自分は、こんな恵まれた環境にいるのに、面倒くさいだの言ってやっていなかった。 新しい知識を得ることで新しい発見をし、考え方を見つけることができるのだ。これができる環境に生まれたことを感謝しなしなくてはいけない。無知な自分よ、勉強しろ。

 

22、両親:公務員試験

新卒で入社した会社が嫌で半年で退職、逃げる形で公務員勉強を開始した。それにもかかわらず両親は、協力してくれた。自分が家にずっといて勉強しているだけなのに、文句ひとつ言わずに支えてくれた。結果として公務員になることはできなかった。だけど、自分と向き合う時間をくれた両親に感謝している。

 

23、中学時代の顧問:手紙

僕は、中学時代の顧問のことが嫌いだった。練習はきつい、すぐに暴言暴力。この部活のせいで中学時代は散々だった。だけど中学3年の時、中体連の前に部員全員に一人ずつ手紙が渡された。その手紙には、シューターとして使いたかったことや努力の大切さが書かれていた。普段はものすごく嫌いだったが、この手紙だけは感動した。

 

24、父親:入社前の手紙

父親から会社に入社前にもらった。働く前に伝えたいことがあると手紙を書いてくれた。だけど、恥ずかしくてまだ見れていない。堂々と手紙を読めるように頑張ろうと思った。

 

25、母:くれた小説

公務員試験に落ちたとき時、ぐずっていた自分に母がくれた小説がある。「フリーター家を買う」だ。どういう意図でそれを渡してくれたのか詳細はわからないが、人生何とかなるもんだと思って勇気沸くでしょ?と言ってくれた。

 

 

 

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